2013年12月27日金曜日

政教分離がテーマ回のラジオ聴取メモ

平成25年12月10日(火)に荻上チキsession22で政教分離をテーマにした時の聴取メモです。
ラジオ聞きながらメモったことなので、誤字脱字が有ると思うし意味が通じていない部分があると思います。

政教分離について
アメリカ大統領は聖書に手を置く行為は宗教団体と距離をとっているの?
アメリカもヨーロッパ諸国もおおむね政教分離の原則に従っているが、ルール作りや線引きは各国微妙に違う。
・アメリカは政教分離の原則に忠実。聖書に手を置くのは「良心」という意味であって、議論はあるがキリスト教徒しかいない時期が長かったので、聖書の信じ方はそれぞれであって信じ方毎に教会がある。でも人間として良心に忠実にする「象徴」
・外から見るとキリスト教徒の儀式に見えるがそうではない。法廷の証言ではムスリムの方証言する場合は聖書では無くコーランを使う場合がある。政教分離のかなったやり方だとされている。

憲法20条について
・20条3項で一般的に国は宗教活動はしていけないという事が定められている。
これを踏まえて
・20条1項後段で、いかなる宗教団体も特権を持ってはいけないという規定がある。
・89条 最近の例だと、神社を置く為の土地として、無償で神社に土地を貸していたのが89条に違反するという判例がある。全平等にどの宗教にも宗教援助金を出すという政策も行えない。

政教分離の目的・意義
①「個人の信教の自由の保障」
少数派の宗教を信じる人の信教の自由の確保する「個人の信教の自由の保障」

②「公共性の確保」
宗教というのは、その宗教を信じている人にしか意味が無いことなので、そこに強制的にとる税金や公の財産を使うことは良くない。「信じている人にしか意味の無い事に公共の資源が投入されないようにする。

③「宗教の自立性の確保」
国に取り入ろうとして教義の内容を内容をコロコロ変えるような宗教は、宗教としての魅力も無いし、宗教としての意義も発揮できない。宗教の魅力や社会的意義を十分に発揮するためには国から独立して自立していなければならない。

諸外国で政教分離の考え方がが始まった経緯は?
・かつて政府と教会は分離していなかった。「政教一致」という。
・特定の宗教を信じている側からすればある意味理想的。
・問題点は教会毎に国をつくったら大変なことになり、宗教戦争が起こった場合収拾がつかなくなる。実際ヨーロッパでは痛い経験を散々してきた経緯がある。その経験を踏まえて教会は教会だけで警察力や軍事力を一切持たなくても国家が保護するが、その代わりに宗教は政治に口を出さないように、宗教と世俗の活動である政府の働きを分ける動きが400年前からできてきた。最初に国家として明確な形をとったのはアメリカ合衆国。

アメリカには不文律があって、
・牧師や神父は政治家になってはいけない。
・軍人は辞めれば政治家になれる。牧師や神父を辞めても政治家になっていけない。
・教会で説教をする。どんな話をしても良いが、今度選挙があるからこの候補が良いと思うなどと言ってはいけない。憲法に書いてあると言うよりもアメリカ国の文化であって、皆が理解し体得している不文律のようなもの。この憲法の精神の一番大切なところがある。
・暗黙であるけれども硬いルール

GHQがなぜ政教分離の方針を打ち出したのか?
・ナチスや日本は全体主義という概念を持っていた。
・全体主義とは、政府が大きな権力を持つと、国民はそれに従って蟻かミツバチのように一斉に行動を起こす原理。
・政府が間違っているかもしれないのに従うのは「良心が麻痺している」から。
・なぜ個々人が良心を麻痺させているのかといえば、政府が宗教的な働きを国民に与えているから。GHQにはこう見えた。
・そこで二度とこういう事を起こさないためには政府と宗教を分離することが必要で、政治の活動と国民個々人の良心を分離しなければならない。個々人が良心的に判断して、これは間違っていると思ったときに、一人でも少数であっても心からの声を上げる。これが民主主義の原点ではないかと考えた。
・日本には民主主義がなかった。良心がなかった。だから今ここで政教を分離しておかないと日本にとっても困ったことになるし、アメリカの友好国にならないし、世界のためにならない。

GHQの意図するところの政教分離は天皇家と政治を切り離す事にある気がする。
国民からわき上がってくる感情も抑えたい意図はあったのか?
・GHQは民主主義を推進すると言っていた。
・言っている中身は理解できるが、問題は日本人にしてみると、そういうことは自分たち(国民)が言いたいわけだが、自分たちが言うより先に、政府以上の政府(占領軍)が「おまえらこうやれ。自主的にやらなきゃダメじゃないか」と命令されてしまった。
・自主的にやりなさいと命令された場合、「はいはい」と自主的にやったら命令された事になるので自主的にならないし、「自主的じゃありません」と反抗したら自主的じゃ無いことになり、どう転んでも困る「ダブル・バインド」という心理状況になってしまった。
・政教分離の中身は正しいが、自分から思いついた良い考えとは言いがたい。

今でもダブルバインドの状態が引き継がれているのか?
・腑に落ちない限りは自分の考えにならない。政教分離について腑に落ちるチャンスが日本には少なかった。
・宗教は怪しげな物であるという考えが強く、自分の体験にならない。
・葬式やお宮参りなど習俗であって自分の良心とは関係ない。
・自分の良心を確保するための宗教・信教の自由だったのに、自分と関係ないと思っているわけだから、何年経っても学習できない。

海外の政教分離の例
・宗教が良心や個人の信念とあまり関係ない国は、アメリカやヨーロッパの伝統とも違うし
し、イスラムとも違う。イスラムとも違うし、中国とも違う。日本は大変珍しい国。
・イギリスの場合 英国国教会はある。国教はあるが、信教の自由は国民に認められている。
・ドイツの場合 教会は特権団体で、税金をとる権限を持つ教会もある。保護領域は残しつつ、政治の領域に口は出せない形になっている。
・フランスの場合 徹底的な政教分離を行っている。世俗原理に口を出せない、政教分離法がある。アメリカも似ていて厳格に宗教と政治が分離されている。
・日本の場合は国教も無く教会も神社が特権団体では無いので、フランスやアメリカに近い。
日本の政教分離の問題点
・天皇に関しては、政教分離の一般原則の外にある問題。天皇論という領域。
・日本人の宗教観は、神社に初詣に行くことから始まり、クリスマスで終わるという宗教観。キリスト教も仏教など様々な宗教が信じられる。
・キリスト教やイスラム教を本気で信じている人に対して、日本人は自分たちと同じ感覚でいい加減な態度をとる場合がある。無神経な形で公共団体が宗教を援助したり宗教を援助したりする問題がある。
・宗教に対する無防備さをどうコントロールするかが、日本の宗教分離の課題。